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大阪地方裁判所 昭和28年(行)58号 判決

原告 仲野欣彌

被告 堺税務署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が原告に対する昭和二六年分相続税として、税額を六万七千六百四十円、無申告加算税額を六千七百円とした決定はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として次の通り述べた。

「原告は昭和二六年中肩書住所に総費用七十四万三千四百七十三円で木造平屋建瓦葺建坪三四坪一合七勺の住宅を新築した。そしてこの費用の出所の内訳は、(イ)住宅金融公庫借入金二十八万円、(ロ)原告手持現金三十万円、(ハ)父仲野庄太郎よりの贈与金十六万三千四百七十三円である。

右の如く父庄太郎から贈与を受けたのは十六万三千四百七十三円で、住宅金融公庫からの借入金及び原告手持現金で支払つた以外の分を、この贈与を受けた金額で支払つたものである。従つて少額控除三万円、基礎控除十五万円計十八万円の控除があるので、結局原告は右庄太郎からの贈与については、全然相続税の課税を受くべきものではない。

然るに被告は昭和二七年四月三日右家屋の建築資金受贈のための決定として昭和二六年分相続税確定決定の通知書を原告に送達して来た。これによると、取得財産の価格四十三万八千八百十円、少額控除三万円、基礎控除十五万円、差引課税価格二十五万八千八百円、同上税額六万七千六百四十円、無申告加算税額六千七百円となつているのであり、原告が真実贈与を受けた十六万三千四百七十三円に比し遙かに大きい四十三万八千八百十円が贈与による取得財産とせられている。

しかし右被告の決定は過大であつて、原告手持の現金三十万円は、原告が大阪薬学専門学校在学中の昭和二一年七月から同年一二月までの間に、ズルチン、サツカリンの人工甘味料を製造販売して儲けたものを、右建築当時まで現金で所持していたものであつて、被告決定のような多額の金を父から贈与せられたものでは決してない。なお右家庭建築に使用した瓦は原告の父が戦時中に代金千百六十六円で買受けていたもので、右金額は勿論原告が父より贈与せられたと主張する前示十六万三千四百七十三円中に含まれているものである。

そこで原告は昭和二七年四月二八日被告に対し再調査の請求をしたが、三ケ月以内に何等の処理がなかつたので、同年八月六日右再調査請求を審査の請求として取扱うことを申出たところ、昭和二八年六月二八日大阪国税局長より棄却の決定通知を受けたので本訴に及んだものである。」

なお被告の主張に対し、本件家屋の瓦葺の面積が五〇坪であること、右家屋の敷地は父庄太郎の所有であつてこれを無償で使用させて貰つていることはいずれもこれを認めるが、敷地の坪数はこれを争うと述べた。

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として次の通り述べた。

「原告主張事実中原告が昭和二六年中にその肩書住所に原告主張の家屋を新築し、これにつき被告が原告主張のような相続税確定決定をしてこれを原告に通知したこと、これに対し原告より原告主張のような再調査の請求があり、三ケ月以内にこれに対する決定通知をしなかつたので原告から審査請求として取扱うことの申出があり、国税局長より請求棄却の決定があつて、原告主張の日にその通知のせられた事実は全部これを認める。しかし右家屋の建築費として原告が支出した金額は原告主張の七十四万三千四百七十三円から原告の計上する瓦代金千百六十六円を控除した七十四万二千三百七円であつて、これに瓦代六万六千三百円を加えた八十万八千六百七円が右家屋の総建築費というべきである。そして右総建築費のうち二十八万円は住宅金融公庫からの借入金でこれをまかなつたことは認めるが、原告主張の手持現金三十万円からの支出は否認する。残余の五十二万八千六百七円は全部原告の父庄太郎からの贈与であつて、これに右家屋の敷地一一二坪の無償使用による利益(借地権贈与額)一万一千七百六十円を加えた五十四万三百六十七円が、右家屋新築につき原告がその父庄太郎より受けた贈与の総額であつて、右金額は被告決定の取得財産の価格四十三万八千八百十円を遙かに超過する。

なお本件家屋建築のために使用した瓦は原告の父庄太郎が戦時中に代金千百六十六円で買受けていたものであることはこれを認めるが、これを原告は右建築の際に父から贈与せられたものであり、その贈与の価額は右贈与当時の時価を以て算定するのが相当である。そして本件家屋の瓦葺の面積は五〇坪であり、当時屋根葺の費用は普通一坪当り千四百円から千五百円であつたから、これを千四百円として五〇坪で合計七万円を要することとなるのであつて、これから原告の支払つた屋根葺の手間賃三千七百円を引いた残額六万六千三百円を右贈与の価額と認めたものである。

また右家屋の敷地は原告の父庄太郎の所有であり、原告はこれを無償で使用している。右事実は相続税法第九条の「対価を支払わないで利益を受けた場合においては、当該利益を受けた時において、当該利益を受けた時における当該利益に相当する金額を当該利益を受けさせた者から贈与により取得したものとみなす。」との規定に該当するものであつて、右利益に相当する金額は借地権の価額と同額であると認めるのが相当である。そして昭和二六年堺市における借地権の価額は富裕税課税の場合の財産評価基準である、当該土地の賃貸価格の二一〇倍を基準として、本件の場合にあつては敷地一一二坪の賃貸価格五十六円の二一〇倍である一万一千七百六十円と認めるのを相当とする。

また原告は大阪薬専在学中にズルチン等の製造によつて得た利益三十万円を本件家屋の建築資金に使用した旨主張するが、

(一)、原告が右学校に入学したのは昭和二一年四月であつて、同校がたとえ薬学に関する専門学校であることを考慮するとしても、当時一九歳の原告が、習得には通常一年ないし二年の技術経験を要するズルチン等の製造を、右学校入学後僅か三ケ月にして為し得たとは認められず、従つてこれにより右のような金額を得たとは到底考えられない。

(二)、原告は、ズルチン等の製造販売に関する取引関係を明かにする事項を記載した帳簿は紛失したと称して提示せず、当時の状況を確認せしむるに足る証拠を全く欠いている。

(三)、原告は、友人と共同で製造し友人の父を通じて道修町方面に販売したと主張するのみで、当該友人及び友人の父の氏名職業、当時及び現在の住所を全く明かにしない。

(四)、当時ズルチンの製造には物品税法の規定により製造申告を要したが、原告はこの申告をしていない。

(五)、また三十万円という大金(東京卸売物価指数を例にとれば、昭和二一年と昭和二六年とを対比して約二一倍となつている。)を、原告のような社会常識にたけていると認められる者が、何等利殖の道を計らず、昭和二一年一二月までに得た金を、現金で、昭和二六年まで持つていたという原告の主張は論外の論といわざるを得ない。

以上の諸点から考え原告が本件家屋の建築につき原告の手持現金三十万円を使用したとの原告の右主張は到底これを認めることはできない。

なお原告は本訴において建築費用のうち十六万三千四百七十三円は父庄太郎からの贈与金であることを認めているが、再調査及び審査の請求においては十五万円余りを父から借入れたと申立てているのであり、(しかも右借入については証書、利息の約定、返済の領収書等一切なしと申立て、仲野庄太郎の富裕税申告にはこの債権の計上がない。)その間原告の主張にそごがあるのであつて、この事実は、如何に原告の主張が信ずるに足らないかを示すものである。」

(証拠省略)

理由

原告が昭和二六年中にその肩書地に木造平屋建瓦葺建坪三四坪一合七勺の家屋を新築し、被告がこれに対し右建築資金のうち四十三万八千八百十円は原告の父仲野庄太郎よりの贈与にかかるものとして、原告主張のような相続税の課税決定をしてこれを原告に通知したこと、右家屋の建築費が七十四万二千三百七円に瓦代を加えたものであり、右費用中二十八万円は住宅金融公庫からの借入金で支弁せられたことは当事者間に争いがない。

そこでまず右建築費七十四万二千三百七円から住宅金融公庫からの借入金二十八万円を差引いた四十六万二千三百七円の出所について検討してみよう。被告はこれを全部(更に瓦代六万六千三百円及び借地権の価額一万一千七百六十円を加えた五十四万三百六十七円全部)原告の父仲野庄太郎からの贈与によるものと主張するのに対し、原告は右金員中三十万円は原告の手持現金からの支出であり、その余の十六万二千三百七円(これに瓦代千百六十六円を加えた十六万三千四百七十三円)だけが父からの贈与額であると主張する。そして証人上田三郎、大江耕三の各証言に原告本人尋問の結果を総合すれば、原告は昭和二〇年四月大阪薬学専門学校に入学し、昭和二四年三月同校を卒業したものであつて、昭和二一年中から昭和二二年の初め頃にかけズルチン等の人工甘味料を製造し、これを道修町の薬品商等に販売してある程度の利益を収めたことはこれを認めるに足るが、右利益が原告主張のように三十万円に上つた事実については、僅かに原告本人が二十七、八万円の純益があつたと供述する外は何等これを確認するに足る証拠はなく、右原告本人の供述もただ右のように口供するに止まつて、右供述を支持するに足る証拠はこれを見出すことはできない。そしてまた、原告が右ズルチン等製造による利益、ことに原告主張のような多額の金銭を昭和二六年中に至るまで現金で保持していた点に至つては、原告本人はこれに合致する供述をするのではあるが、吾人の日常経験からすれば普通には考えられないところであり、原告本人及び証人仲野庄太郎のいう原告の母が継母であること、また更に原告が若年の学生であつたことを考慮するとしても、未だ以て右原告本人の供述を信用することはできないのであつて、結局本件建築費用中三十万円は原告の薬専在学中ズルチン等の製造による利益からこれを支弁したとする原告の右主張事実はこれを認めるに足る証拠がないのみならず、極めて疑わしいといわねばならない。なお原告本人はその本人尋問で前記のようにズルチン等の製造による利益は二十七、八万円であるが、その他に原告が学校卒業後会社病院等に勤務して得た給料よりの貯蓄が三、四万円あり、これを合せた三十万円位を建築費にした旨を供述するのであり、原告が学校卒業後会社及び病院に勤務した事実については右原告本人の供述はこれを信用するに足るが、その勤務による給料よりの貯蓄を本件建築費に充てたとの点は本件全経過において右原告本人尋問に至るまでは原告の全然主張しなかつたことであり、(この事実は証人原光太郎、川口一三の各証言及び本件口頭弁論の全趣旨からこれを認める。)この経過から考え右原告本人の供述またこれを採用することはできない。

なおまた原告本人及び証人仲野庄太郎は原告の所持金と住宅金融公庫からの借入金以外の本件建築費は全部父庄太郎からの借受金であり、現に毎月その返済をしている旨を供述し、本件建築費の一部が父庄太郎からの借入金であることは、被告との折衝の当初から原告の主張するところであつたことは証人原光太郎、川口一三の各証言によりこれを認めるに足るが、本訴において原告は原告手持現金三十万円と住宅金融公庫からの借入金以外の本件建築費用はすべて父庄太郎からの贈与金である旨を主張するものであること前記の通りであるだけでなく、右原告本人等供述の父子間の貸借については何等の書類も作成せられていないのであり、(この事実は原告本人の供述及び証人仲野庄太郎の証言からも明かである。)この点は父子間の関係として深くこれを問わないにしても、この貸借による債権については、父庄太郎の富裕税の申告に何等の記載もないこと証人原光太郎、川口一三の各証言から明かであつて、以上諸般の事情を考慮すれば右父子間の貸借に関する各供述またこれを採用することはできない。

以上これを要するに本件建築費用中住宅金融公庫からの借入金以外の部分について原告の主張する金の出所はすべてこれを認めるに足らないのみならず、極めて疑わしいのであつて、この事実に証人仲野庄太郎、原光太郎、川口一三の各証言によりこれを認め得る、原告の父庄太郎は相当の資産を有し、財産税、富裕税の納税義務者である事実を合せ考えれば、前記建築費用七十四万二千三百七円中住宅金融公庫からの借入金二十八万円を差引いた残金四十六万二千三百七円は全部原告が父庄太郎からの贈与金により支弁したものと認めるの外はないのであつて、右贈与金だけで既に本件課税決定における取得財産の価格四十三万八千八百十円を優に超過するのであり、瓦の贈与及び敷地の無償使用による贈与額についての争点を判断するまでもなく本件課税決定の適法であることが明かであるから、右争点についての判断はこれを省略し、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 山下朝一 鈴木敏夫 萩原寿雄)

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